春の奥秩父縦走路
2016年5月14日から15日(予備日16日)の2日間で奥秩父縦走路へお出かけしてきました。その記録と旅の途中、旅を終えて思ったことなどを幾記事かに分け書こうと思います。まずは長いですが今回の旅の経緯です。
奥秩父縦走路(奥秩父山塊、奥秩父連峰)とは?
僕自身がいつも説明する際は「東京の多摩から山梨の清里まで山が連なっていて、その東西に延びる一筋の山道が奥秩父縦走路」といった感じで説明してますが、こちらの方でもう少しく詳しく説明されています。今回の旅のきっかけとなった著書が最後に紹介されていますのでさっと目を通していただければと思います。
奥秩父連峰 - 関東の主要山域 - ヤマケイオンライン / 山と溪谷社
また南北アルプス縦走レース(TJAR)を主催する団体がこのルートを使ってレースを毎年開催しているようです。
他にも検索すれば僕のようにトレイルランに傾倒した方々がこの縦走路を楽しまれているようだということがわかります。僕もそのうちの一人です。
3年前の宿題
実はこの縦走路を通しで行くのは2回目でした。3年前の9月に3日間の時間を費やし挑戦しましたが、計画不足により中途半端に終わりました。その無念を晴らす為でもありましたが再度、奥秩父へ脚を運んだ主な理由は他にありました。
(3年前に挑戦した時の記録はこちらから)
森の東アルプス ~秩父山塊~ - the longer the higher
森の東アルプス ~秩父山塊~続き。 - the longer the higher
森の東アルプス ~秩父山塊~続きの続き。 - the longer the higher
『山の憶ひ出』(木暮理太郎著)
先ほど奥秩父の説明のため、引用した記事の最後にあるこの書籍。
山に入り始めた頃はそうでもなかったですが、色々な山へ行くにつれ、山の世界の歴史にも興味が湧いてきました。図書館でふと目についた、分厚い文庫本。気になって読んでみると、群馬出身である著者が奥秩父への情熱を注いだ記録がつらつらと書かれていたのです。
秩父は今いる実家の春日部から遠い場所で地元とは決して言い難いですが、埼玉県出身の僕としては秩父をホームとして仲間を案内してみたい。しかし、案内するほど実は通ったこともなくほとんど何も知らなかったのです。
そして、読み始めて間もなくどうしても頭の中に残る文章が、今回の旅のきっかけとなったのです。
命名、ーTSUNATORI (綱取り)ー
「...秩父山脈と日光火山群とは、互に馬蹄形の一端に
秩父山脈と日光火山群とは、...正に関東の“両大関”...
この大関という例えがどうしても頭から離れなかったのです。そして僕の頭の中で..
「これは...自分が横綱に昇進する(もっと強くなる)には大関を倒してから横綱(綱取り)に挑まないといけない…」と小学4年生くらいの発想が今回の旅のスタートでした。
奥秩父縦走は3年前にトライしたと言いましたが、実は日光へも何度か足を運んでいて、日光火山群を含めたロングトレイルに昨年挑戦していました。⁽日光へは届きませんでしたが。⁾
TGIF (Tochigi Gumma It's Fukushima) - the longer the higher
TGIFの続き。 - the longer the higher
その両山脈の重厚さ、奥深さを一度肌で感じていること、自分の発想と登山の先駆者である木暮理太郎氏の発想が重なったことで一気に火がつきました。
とてもくだらない話ではありますが両大関を今年中に倒す!と同時に南北アルプスにはない魅力を仲間へ広められたらという想いで今シーズンは走るのです。
次回からいよいよ本題(奥秩父縦走記)へ入ります。
こちら。
-TSUNATORI(綱取り)- 森ノ山 奥秩父部屋 (雲取山まで) - the longer the higher
-TSUNATORI(綱取り)- 森ノ山 奥秩父部屋 (はっけよぉい!雁峠まで) - the longer the higher