生活路。

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二週間くらい前にどうしても今年中に行ってみたかった『道』へ行ってきた。

 

一里(約3.9km)ごとに観音様が鎮座している。隣の國へ行くために山を超え、行商がモノを売るために行き来した昔の生活路だ。
登山道はどれも歴史ある道に違いはないと思うが「山を登るために整備された道」ではなく、「生活をするのに必要な道」にロマンとでも言うのか強い魅力を感じた。

地図を見て予想した通り、なだらかな上りが延々と続く。僕らはランスタイルで行ったのでその緩やかな走れてしまう登りは気持ちがよさ過ぎた。

しかし、ちょっと時間のネジを巻き戻して同じ道を通った人の姿は背負子に炭やら何やらを積んで片道20㎞以上はある山道を淡々と歩んでいたに違いない。

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人ひとりが通ることのできる幅さえあれば十分で、足元には荒々しい苔や倒木が横たわっている。
山中を歩くことだけでさえ大変な労苦を要するというのに、この道は誰かによってつくられた。現代ではチェーンソーで木を切って、草刈機で下草を刈ればどうってことないが、無論そんなものもなかったであろう。そんなことも考えてしまう。

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人の往来がどれだけ盛んだったのかは知らない。

奥深く、人気の少ない山が好きなんだなぁ。