Finally

闇夜の香港、街の灯りは綺麗に見えるのだろうか。1000万ドルの夜景...淡い期待を抱きながら更に後半の追い込みを図る。前にいたチームを捉えガツガツ進んでいた...はずだった。

 

最高点のTaiMoShanまでは登りが続く。その登りで前を進むAキャップについて行くのが段々しんどくなってきた。脚が攣りそう、暑い、何かがおかしい。

周りに気を払う余裕がなくなり、「胃がやばいっす。吐きます。」と自ら二人に伝え止まってもらい指を喉に突っ込んで吐いた。

力を出したいところでのまさかの失速。CP6で一気に補給をし過ぎ、食った後のペースも早かった。少しは楽になったがペースをあげたくてもあげられない。呼吸も苦しく登りは全く走れなかった。後ろから抜き去られ前方へ消えていくライトを見るのがすごく悔しかった。

Aキャップが前で引っ張ってくれ、後ろでA木さんが無言でも一緒にゴールへ行くしかないと言ってくれてるようで心強い。お二人は5日前に日本でレースに出ててダメージが残っている身体。もちろんそれを知っていたので、後半は自分がリードするのだと思っていただけにすごく情けなかった。

 

登りを終え下りに入るも、とにかく呼吸すると胸が痛い。ジョグペースでしか進めない。息を吐くときに「あー」だとか「うー」とうめき声にも近い声を出した方が楽だった。過去にもこの症状が出てしまったことがあるが、いずれもリタイアしている。対処法が全くわからず、横になって回復を待っても良くなったためしがない。

しかし、止めるつもりは全くない。悪いコンディションの中でも一番いい形でゴールしたい。サポートクルーと会える最後のCP8に辿り着く。

 

食欲も何もなかったが、用意されていた温かいうどんを見た途端、急に食べたくなった。これまでの状況から何かを食べることには抵抗があったが、だしのスープが最高にうまい。身体に染み渡る。

ザックの中から要らないモノを出して置いていく。残り20㎞を走り出す。


不思議と呼吸をするたびに痛かった胸が元に戻っている。痛くない。脚も動く。何がよかったのかは未だにわからないが、再び走れることがこの上なく嬉しい。

最後の20㎞、走れる最高に楽しい20㎞だった。願わくば4人で走っていたかったが、ゴールでみんなが待っている。

 

Aキャップ、A木さん、自分と続くが、本当にどこにそんなパワーがあるのかというくらい先頭を行くAキャップは速い、そして強い。残り12㎞であまりにペースが速かったのでA木さんが「ペース、落としましょう。」と。自分も途中木の根に足をとられ、すっ転んだ。

「もうここまで来たら意地だよね。」

とAキャップが何気なく言った一言に自分はまだまだ弱い、この人にはまで勝てないと同じチームながらに思ってしまった。

3人でほぼ無言で黙々と走る時間。もう終わってしまう。

ロードから小さな広場に出た。わかりづらい矢印に惑わされ、BBQをしていたグループに道を確認する。下りていくと、ゴールまで照明が備え付けられている。

 

残り700m、200m、

 

最後は3人でがっちり手を取りあい14時間48分で香港での闘いに幕を閉じた。 

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Not only three of us

去り際にS名さんとがっちり握手をかわし、ゴールで会うことを約束した。
大の字で横になっていたが、自分の脚でまだ動けるのでよかった。

 

次にサポートクルーと会えるのはCP6で距離にして15kmくらいだろうか。下り基調のロードを進む。途中、暑さに我慢できず全員半裸で走った。脱いだはいいが町が近くに見えるところまで下りてきていたので一般人も多かった。
Aキャップは相変わらずで猿と戯れようと手を伸ばし、猿が怒った顔を見せる。本人曰くこの顔が見たいのだとか。


一度下りきるとbeaconhillへの登り口で他チームをサポートする日本人の方々がご厚意で冷却用の氷、コーラ、ブドウ等を下さった。このタイミングで欲しいものを有り難く頂く。
聞けば、やはり日本から来る参加者はこの暑さとの折り合いをつけることに難儀しているらしい。
メンタル的にも勇気づけられ、抜き去られたチームをまた追い抜いて行く。他チームとは互いに声をかけあい、励ましあいながら進むのだが上位チームはこのレースの攻略方法を知っている。なかには今年で10回目の出場だという選手もいた。

 

サポートは並走も許されているので空身で走るチームも多い。どれ位の距離を並走していたのかは知らないが、ほぼ常時サポートを受けられるのでCPのエイドに立ち寄る時間も極端に少ない。

また遅い人をリードで引っ張って走るチームも少なくなかった。日本では考えられないが何でもありだ。ルールで認められている以上、それは少しでも早くゴールしたい、勝利、自分たちの目標に貪欲である証拠だ。

 

暑さはまだおさまらず、登りきったらCP6というところでK田さんが下りてきてくれていた。サポート隊が待つ場所までの登りを脚を止めずに駆ける。Aキャップは本当に前週に75kも走ったのかというくらい快走を続ける。A木さんは攣ったときのダメージが残っていそうだが、経験値でうまくカバーしている。自分は苦手なロードに苦戦していた。また暑さで補給が思った以上にできていなかったのでエネルギーが足りなくなっていたのかもしれない。

無事CP6に到着。ここで用意して頂いたおにぎりをゆっくり頬張る。自分はここからが勝負処だと思っていた。恐らく他のメンバーもそうだ。(事前にどこでペースを上げていく等といったすり合わせは僕らにはない。その時々の状況で走るのみ。)トレイルの断面図を見ても最高点のTaiMoShanを登り切ってしまえばあとは殆ど下るだけだ。

ヘッドライトを装着し暗がりの中、サポートクルーを背にまた走りだす。

続く。

Team HOKAONEONE JAPAN

ちょっと走って息を上げるだけで、あの熱い闘いの記憶がフラッシュバックするのはきっと僕だけではないはずだ。

 

11月18日から20日にかけて香港で開催されたOxfam Trailwalker HongKongに参加してきた。香港4大トレイルのうち最長の距離を誇るMaclehoceTrailを主とした約100㎞のコースを4人1組でゴールまで走る(歩く。)

はじめの10㎞程はロードが続く。海を右手、ダムを左手に気持ちのよい風を受けながら後半のための体慣らしのつもりで走って行く。

LongKeを過ぎるとコンクリートで固められたトレイル、階段でアップダウン。また下りたら砂浜のビーチに出たりと日本ではないだろうコースを「これが香港トレイルかぁ。」と景色と共に楽しみながら行く。

 

特筆すべきは我らがAキャプテンがトレイル上に無数に落ちている牛のウン〇に小学生かっ!と言わんばかりに「ウン〇、ウン〇」と連呼していた(笑)

 

硬い足場を淡々と走り、自分たちのサポートクルーとのファーストコンタクトであるCP2(チェックポイント)へ到着。ここまで約25㎞だったが、もう来たのかという余裕が自分の中ではあった。しかし、それはメンタル的なことであって身体的にはじわりじわりと香港の”蒸し暑さ”から受けるダメージが後に出て来ることとなる。

 

サポートをしっかりと受け、足早にコースへ戻った。

トレイルコンディションはコンクリートでないにしても硬く、雨が降ればツルツルになるであろう完全に踏みならされたトレイル。コース上には他チームのサポートのために待つ人も多く、(トレイル上ならどこでもサポートが許されている。)彼、彼女らも頻りに「加油加油!」「ガンバって!」”Keep going”など声援を送ってくれる。
CP2以降からだっただろうか。後続のチームと順位が頻繁に入れ替わる。無論、僕らは順位は気にして走ってはいなかった。


今、レースを終え冷静に振り返ってみるとCP2からCP3の間でチーム1人1人に香港の洗礼を受けていた気がする。

今回の鍵は”暑さ”にどう向き合うかであったと思う。日本では季節が冬へ移り変わる頃で前日に入国した僕らは当然この暑さには適応できていなかった。日本で例えるならば梅雨の終わり頃だろうか。汗のかく量もえらい多く、摂取した水分はほぼ汗で出ていたであろう。

A木さんは後ろから来たランナーに道を譲ろうとした際、転んで両足を攣ってしまった。自分も登りの際に両内膝がいつ攣ってもおかしくない状況。Aキャプテンも前週の大会からの疲労が出ていたのかキツそうな場面も伺えた。
CP3で待っていたサポートのK田さんは水分と塩分をしかっり摂るように忠告をくれた。

がしかし、その時は来てしまう。CP3を過ぎ相変わらずのハードトレイルのアップダウンを繰り返すうち、S名さんが遅れをとってしまう。置いて行くということは選択肢にはなく、ちょっと先へ行きすぎたら待ち、その前にペースを落として進んだりもした。それでも香港の暑さは容赦なかった。S名さんの顔は紅潮し、特に登りのときは呼吸が荒くかなりキツそうだ。歩きでももう限界に達していた。

「もう無理やな。次のCPでドロップするわ。」

その言葉はチームメンバーの誰からも聞きたくはなかった。もちろん皆言いたくもなかったことは明白だ。このままいつ回復するのか、もしくはそもそもで回復するのかもわからないコンディションに賭けをすることはなく、チームのためを思っての早い決断。(ルール上3人であれば次のCPでリタイア者を残しそのまま進むことができる。)

 ドロップを決めた後でも少しでも早くCP4へ辿り着こうと時には先頭に出る姿は正に雄姿。自分の体の一部が持っていかれたような想いだったがその姿を目に焼き付けてゴールまで走ることを約束。預かった赤のリストバンドを携え、一人減ったチームは再び息を吹き返す。

 

続く。

Like back in home.

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10月の最終日曜は今年一番走ったであろうトレイルへ。
ちょうど寒気が入ってきた日だったので、とにかくサブかった...

動いてれば問題ないが、止まって補給してる時間が3分も経てば汗が己の体を冷やす。
と言うが、この日もほとんどノースリーブだったので何か着ろよってことだ。
吐く息は白く、空は完全に冬。体は冷えても秋の紅葉が気持ちを晴れにしてくれた。
あまりに寒かったので当初の予定の6,7割で下山した。

途中、高齢者パーティーと遭遇し、おやま話。
「若さってのはパワーだよねぇ~。」ってこの日も言われたけどもうそんなに若くない…笑(まだまだガンガン走れる自信はありますが。)

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予定より早く下りたので1年ぶりの『はなゆう』


<かけそば>と<かきあげそば>の値段が一緒で、あごだしのスープは走った後なら必ず飲み干してしまうウマさ。
衝撃だったのは値段が改定されていた!!!<かきあげそば>はかきあげ分の料金を払わなくてはいけない。至って普通(笑)

翌月曜日も休みだったので、午前中に激坂コースへ。この日も直前でコースを変えた。
日曜の寒さを受けて標高500mくらいの里山を走ろうと思っていたが、車で移動中いやに騒がしさが気になった。月曜日だから通勤で行きかう車が多いのは当然だがこっちは完璧に休みモード。人気の少ない、街には出ない所に行きたくなった。

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前日もそうっだったけど、両日走ったトレイルはどちらも最後に走ったのは6月。久しぶりのはずなんだが夢の中でこのトレイルを毎日走っていたかのような親しみを感じた。

今シーズンは来れてあと1回か。

生活路。

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二週間くらい前にどうしても今年中に行ってみたかった『道』へ行ってきた。

 

一里(約3.9km)ごとに観音様が鎮座している。隣の國へ行くために山を超え、行商がモノを売るために行き来した昔の生活路だ。
登山道はどれも歴史ある道に違いはないと思うが「山を登るために整備された道」ではなく、「生活をするのに必要な道」にロマンとでも言うのか強い魅力を感じた。

地図を見て予想した通り、なだらかな上りが延々と続く。僕らはランスタイルで行ったのでその緩やかな走れてしまう登りは気持ちがよさ過ぎた。

しかし、ちょっと時間のネジを巻き戻して同じ道を通った人の姿は背負子に炭やら何やらを積んで片道20㎞以上はある山道を淡々と歩んでいたに違いない。

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人ひとりが通ることのできる幅さえあれば十分で、足元には荒々しい苔や倒木が横たわっている。
山中を歩くことだけでさえ大変な労苦を要するというのに、この道は誰かによってつくられた。現代ではチェーンソーで木を切って、草刈機で下草を刈ればどうってことないが、無論そんなものもなかったであろう。そんなことも考えてしまう。

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人の往来がどれだけ盛んだったのかは知らない。

奥深く、人気の少ない山が好きなんだなぁ。

おやま三昧。

最後にネタをアップしてから約二か月、ほぼ毎週のように山へ行っていた気がする。

鈴鹿秩父、北信、白馬、八ヶ岳鈴鹿、養老...

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北信五岳のうちの一座、戸隠山。一般ルートでも要注意。ヘルメットが必要な理由がわかる。

 

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白馬鑓温泉again。メンバー、天候にも恵まれ、(他含め笑)最高の温泉山行だった。

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不帰キレット。(人影は後ろからすごいスピードで来たオレンジ色の人たち。)

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関西のおねーさま方と。

 

今年の自分の中でのテーマは『ひとりではなく誰かと山に行く機会を多く持つ』こと。

もちろん相変わらず一人で山へ行くことも多かったが、今年ほど友人と一緒に山へ行ったことはなかった。

何か変化が欲しくて、他の人から色々学べるんじゃないかと思ってそうした。

それでよかった。それがよかった。

 

今後の選択に良い影響を与えて頂いた。
なんかものすごく抽象的な自己完結な内容になってしまった。

気が向いたら各山行の内容をアップしよ。

K2K(上高地to上高地)

2016/8/14.15

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上高地河童橋を過ぎたところに小梨平キャンプ場がある。

今回はここにテントを張って要らない荷物は全部テントにおいて、軽装で周辺の山を巡ることにした。

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初日は徳澤から蝶、常念、大天井を経て槍沢を下りて戻った。

天候に恵まれ暑さで頭痛がするくらいだった。行程は約12時間。

もっと行けると思っていたけれど、治してない足裏のケガと体力があまりないことに気づく。

2日間あったので、荷物は預けてぶっ通しでビバークの用意だけ持って走ることもちょっとだけ考えたけど気持ちが今はのらなかった。やらなくて正解だったかな。

初めていく山に対しても最近ワクワクしない。こんな絶景を見ておきながら失礼極まりない。綺麗だなと思うのは確かなのだけれど、心のどこかでこんな簡単に来れてしまっていいのだろうかと物足りなさを感じる。

 

安くはない交通費を払って、滅多に来れない場所に来て、パパッと予定の山行をこなしているだけな気がしてならない。普通はそれで十分なはずなのだが…
自分の中で気持ちのブレが生じている。


それでも、今回この山域に来た理由は山小屋の友人に会いに行くため。
そのミッションはクリアした。

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2日目は岳沢、前穂、奥穂、山荘、ザイテンで涸沢小屋、本谷~上高地

 

天気は崩れ、景色は望めなかったものの不思議と1日目よりも楽しかった。

それはやはり目的があったから。また山の上の友人に久しぶりにあえて元気を貰えたからに他ならない。

穂高岳山荘ではカレーやら温かい飲み物やらをごちそうになりながら、談笑。

上高地から3時間で来たと言ったら「変態(笑)」と笑われた。

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続く涸沢小屋では、穂高で1時間もゆっくりしてしまい、雨も降っていたので滞在時間は短かった。顔を合わせるだけでも元気を貰えるのは山という、人里離れたアルプスの高所環境が余計に再会の喜びを感じさせてくれるのだろうか。

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カレーがうまい徳澤園。

 

下りてきてバスを待っていた15時過ぎ。山の視界が晴れ、小屋の友人からも「晴れてきましたね笑」とラインが入った。

まあこんな日もある。雨でも十分楽しかった。台風でその後2日のお山は見送りになったけど...

色々考えさせられることがあったので、次の行動に活かせそうだ。