秘密基地で。
この週末、遠いところから山を走るためだけに仲間たちが駆けつけてくれた。
フィールドはもちろん奥秩父山域。僕が”ホーム”と呼んではいるものの、まだまだ行ったことがないルートが数多くある懐の深い山域だ。
帰りの都合上、移動を含めまる2日。うだる暑さの中、正午にスタートし、ゴールまで走ったのは24時間を超える。
コースは僕が今まで走った中で忘れられない、いつでも走りたいと思う場所。周りの風景やトレイルの美しさに心打たれた場所。
地図には明確に記されているので誰にでも行く権利はある。ただ、ぼく自身はこの場所を大っぴらにSNS上なんかで「○○行ってきました!」などの公表は避けたいお気に入りの場所だ。それでもこの素晴らしいトレイルを独り占めにしておくのはもったいない。
実は今回のコース、自分では通しで走ったことがない。皆を招く前に走りたかったが時間がなかった。でもトレイルランに、山に情熱を持っている仲間がひとつなぎにしてくれれば自分が走らなくたっていいと思ってた。
時期がもう少し早い方がよかったのは皆が暑さでやられてしまったことを見れば、言うまでもない。
過酷なコンディションの中、辛いだろうけど最後まで自力で脚を動かす姿は本当に格好良かった。普段は一緒になって走っているだけで、走っていることが別段格好イイだとか思わなかった。
その反面、満身創痍で歩く皆の姿とサポートと応援で走っていただけの元気な自分の体とのギャップに複雑な心境も覚えた。
「自分もやっぱり走りたかった。」
トレイルランへの熱は冷めない。
Special thanks to the all of runners and supporters!!
なぜ山に登るのか。
山から遠ざかる日々が続いていた。
5月の終わりに登ってから全く山へ行っていない。
ここ1ヶ月、つなぎでドライバー助手のバイトをしていて昨日で最後だった。
初めて一緒になったドライバーさん<Aさん(仮)>でオモシロい人だった。移動中、色々山のことを聞かれて話していたら
「君は山に行きすぎてわかんなくなってるかもしれないけど、山に登りたいって欲はきっとその山に溶け込みたい、その一部になりたいって思うからだと思うんだよね。よくそこに山があるからだなんて言うけどね。そうじゃなくて。まーオレは山登らないからわかんないけどね。」
今、なんで山に登りたいのかと問われてもボクはカッコいい答えなんて出てこない。答えるなら、「体動かしたいから。」「楽しくて気持ちがイイから。」「体と心が喜ぶから。」とありきたりで面白くもない感覚的な返答しかできないだろう。
でもAさんが言っていたことは何となくわかる。
山に溶け込みたい、一部になりたいという欲があるわけではなくて、ふと気付いたら「今、自然の一部になってた気がする。」という節は何度かある。
特に走っている時だ。一般的にはゾーン状態、あるいはフロー状態と言われている。集中力が高まったときに感じられるそれだ。気づいたときにはもう終わっている。
レベルがひとつもふたつも上だったら、コントロールができるのかもわからないが、精々自分はその程度。
このゾーンに入ることは別に山に行かなくてもできること。けれど、人工物が極めて少ない、もしくはない山の中では全てが自然。
隔たりだらけの街の中では集中出来てもその状態に入った記憶がない。
それは街での僕のレベルが低いのかもしれないし、山で感じるそれは全く別のものかもしれない。
はー、山へ行きたい。
connected
先週末の土日、昨年あたりからこの道を繋げて走れたらなと考えていたルートが遂に完成。
一区間を除くすべてのルートの下見が完了した。
フィールドは奥秩父。
振り返ると6年前。雲取山、甲武信ヶ岳、八ヶ岳の山と高原地図を購入し地図を眺めていた。当時はトレランも山も初心者で、山に行きたいけど行くにはお金が結構かかると遠方に行くのを渋っていた。(笑)
どうせなら少しでも大きな山へということで近場である同エリアの地図を手にいれたのだと思う。
その年には奥秩父へは行くこともせず、北アルプスの縦走へ出かけてしまった。
その後もせいぜい行っても、奥多摩から雲取山くらいでそこから先へ進むことはなかった。
関西へ二年間赴いているときに、どうしても通しで東アルプスへ行きたくて帰省したタイミングでトライした。
関西は低山ばかりだが、体力、走力と山勘、ちょっとした地図読み力を携えて奥多摩から瑞牆山をどうにか繋げた。トラブルはあったものの、嬉しかった。
関西から実家へ戻ってからはひたすら秩父、奥秩父、奥武蔵へ走りにいった。もちろん他の山域へも行ったけど心のどこかには必ず奥秩父があった。
7月に仲間を集めて繋げた道を走る。
この山の、森の魅力を存分に感じてもらえたらそれ以上のことはない。
TATEYAMA
季節はすっかり緑が映える時期となってしまった。そう、とっくにトレイルシーズンが到来している。
3月にスキー場を後にし、2週間後にまた雪の世界に戻っていた。
夏でも行ったことのない立山にある山小屋で働きつつ、空き時間と休みを利用してのスキー三昧。
スキーをはじめて3年目にしてバックカントリーへ行けるとは思ってもなかった。
雪山は自分の中ではハードルが高いものだった。勝手に高くしていた。行動する前に頭で色々変な想像をしてしまう。
"JUST DO IT"
NIKEの謳い文句は常にそうだ、その通りだと思っているけれど、こと雪山に関しては正直ビビッていたし誰について行けばいいのか、ひとりでいってもイイけどどの山から行けばいいのか...とこの通り腰が重かった。
パートナーに誘われ連れて行かれるがままに登って、滑った。
もちろん自分自身、何も考えないでついて行っただけじゃない。
シール登行、アイゼン、ピッケルワーク、新しい経験をさせてもらった。
滑りは相変わらず下手くそだ。もっと上手くなりたい。常にそう思っている。
登りに何時間もかけて、滑り降りるのはものの数分。
その一瞬の世界に心魅せられ、興奮し、また行きたくなる。
トレイルランとはまた違う山の楽しみ方を見いだせた。
大自然とパートナーへ感謝。
さあ!走るぞ‼
新年一発目
2017年を迎えた。
冬のシーズンは昨年同様、長野県白馬村で過ごす。
残念なことに昨年よりも降雪が少ない。
その雪の少なさを利用して、夏道で冬山を登れるのではないかと黒姫山へ向かった。
普通であれば、傾斜のなだらかな、しらたま平からスノーシューであがることかと思う。
しかし、自分にはアプローチする車もない。どうしたかと言えば、黒姫駅から表登山道をたどった。
目論見通り、夏道が積雪の少なさが故にハッキリ見てとれる。
別に夏道を辿らずとも、途中から直登すればてっぺんまで行ける。がしかし、傾斜が急すぎるうえに履いているのはトレランシューズ...
ツボあしでひたすら膝下まである雪を登る。
天気がよく、景色は映え渡り澄んだ空気につくられる山の静けさは夏のそれとは違う。
ひとりラッセルしながら何やってんだろとも思ったが、これはこれでよかった。
結局四合目あたりで時間も足らないし、足も冷えてきたので登頂は断念した。
必死こいてあがってきた道を走ってかけ下るのが一番楽しかったことは言うまでもない。
the best 20s I've ever run-1st
私事ではあるが、20代という貴重な時間もあと残すところ1年ちょっと。(顔は五年前ほどから30代。笑)
トレイルを走りに何も考えず関西へ行ってたというお馬鹿をかましたりもしたが、行ってなければなかったであろう出会いがあり、仲間が出来たという点においてそれはそれはよかった。
と同時に関西の里山で鍛えられた体と山の感覚がなければひとりで頻繁に山へ突っ込むことは出来ていないであろう。感謝、感謝。
さて、本題。
これまでの微々たる私の経験から今まで走ったトレイルのなかで印象的だったトレイルを不定期に更新しようと思う。
表題では20代最後を勝手に記念して、20数個と書いたがそこまで行くかな...
エリアは主に関西、関東圏。
1st
滋賀県
【銚子ヶ口岳】
滋賀県東近江市と三重県菰野町との県境に石榑(いしぐれ)トンネルがある。トンネルを滋賀県側へ抜け、そのまま真っ直ぐ行き神崎川を過ぎた左手に登り口がある。(駐車も2台くらいは可能。)
滋賀、三重を南北に隔たる鈴鹿山脈の支脈にあたる。夏の2シーズンだけすぐ近くの民家に住み込みで川のガイドをしていたこともあり、朝練でよく上った山だ。
鈴鹿山系の山で一番初めに登った山でもあり、それまで自分が持っていた鈴鹿の山に対する先入観を良い意味でぶち壊してくれた山でもある。
ルートはひたすら登り。しかも全て走ろうと思えば走れる絶妙な傾斜だ。杉に囲まれた余り日の当たらないトレイル。山の極(きわ)、沢沿いを走ったりと
飽きることがない。ひとつ忠告するとすれば、ヒルがここにもいることくらい。
上の写真は山頂手前。この登りを終え右手に折れもうひと踏ん張りしたら終わり。
朝陽が木々の隙間から漏れてくる美しい光景を目にすることもできる。
山頂まで一時間以上かかったことはない。いつしか一時間を越えたらダメ。というルールが自分の中でできていたんだろう。最高タイムは忘れた。
帰りは来た道を戻る。ご想像の通り帰りは高速トレイルに変わる。
またこの先を進むと鈴鹿の秘境、イブネ、クラシに抜けられる。マーキングもついているが見つけづらいところもあるので注意。
鈴鹿の山で一番登ったであろう山。ここを登るときは誰にも会うことがなく、山の躍動と静寂を楽しんだ山。たった2週間で北アルプス高速縦走を可能にした体を鍛えてくれた山。
思いでの一杯つまった1番目に紹介するに相応しい山だと思っている。
(山頂で空の変化を楽しんだ。)